沖 縄 移 住 生 活 始 め ま し た
建物の屋根や門に鎮座する「シーサー」は14世紀に中国から伝わったとされる。中国と同様、沖縄の人も「シーサー」が魔除けの効果を持ち、家や集落の「守り神」だと信じていた。 「シーサー」に限らず、沖縄には中国文化の影響が色濃く漂っている。
1372年、中国、明朝(みんちょう)、初代の皇帝・朱元璋が当時、琉球最大の中山王府に使者を派遣した。これを受け、中山王府が明に対し朝貢を始めたことで、琉球は中国文化の影響を受け始める。中国は琉球から多くの留学生を受け入れ、琉球の人材育成において大きな役割を果たした。また中国からは多くの人々が琉球に帰化し、その後の沖縄の歴史や文化の形成に大きな影響を与えてきた。琉球国王の察度(在位1350年 - 1395年)の時代の1392年には、明の洪武帝の命により多くの学者や航海士などの職能集団が来琉したと言われる。ビンと呼ばれた現在の福建省からの渡来人であったためビン人三十六姓とも呼ばれた(ビンの漢字は門構えの中に虫を書く)。彼らは那覇の久米村(くにんだ:現・那覇市久米、唐栄とも)に定住したことから久米三十六姓と呼ばれるようになる。三十六姓といっても三十六人いたわけではなく、当時の中国では「三十六」はとても多い事の意味で、その中国から大勢の人が来たためそう呼ばれたのである。
以来、中国との親密な関係は約500年の長きに渡った。現在の沖縄県知事の仲井真 弘多氏も福建から渡来した蔡氏の第19代末裔だそうだ。(注)このページを書いた当時の沖縄県知事は仲井真氏だったが、平成26年12月から翁長 雄志(おなが たけし)氏(平成30年7月現在)。
料理でも、琉球料理のブタを使った料理は、中国からやって来る使者をもてなす料理として発展したと言われている。琉球料理は「ブタに始まりブタに終わる」といわれるほどブタを中心に作られ、肉はもちろん内臓から耳、足、しっぽまで、鳴き声以外全部、食べるそうだ。
沖縄空手は、中国の福建省から伝えられた拳法「唐手/トゥディ」と古来から琉球にあった拳法がひとつとなり進化し、沖縄独自の武術として確立されたそうだ。その技法の50ほどある型の名称は全て福建省の方言だとか。
沖縄三味線(三線・さんしん)は、中国の三弦(サンシェン)を起源とし、14世紀末期に琉球に伝来した。日本の三味線の原型といわれている。本土の三味線と比べ棹が短く弦は白色。蛇の皮を張っているために音色も趣も異なる。
興味深いのは、首里城正殿は正面が南向きではなく、中国が位置する方向(西向き)に建てられている点だ。これは建築士のミスではなく、琉球にとって、当時の宗主国であった中国が西方に位置するため、中国に敬意を表すために、琉球王朝のすべての建築物の正面が西向きに建てられている。首里城正殿内には清の第4代皇帝・康熙帝と清の第5代皇帝・雍正帝、清の第6代皇帝・乾隆帝の3つの額が掲げられている(いずれも復元されたもの。戦災で焼失する前は中国皇帝が琉球王朝に贈った9つの額が飾られていたそうだ)。今でも首里城では、毎年、元旦に国王や女官に扮した人たちが、朝賀の儀式を再現する「新春の宴−朝拝御規式(ちょうはい おきしき)」というイベントが行われており、中国の方角に向かって礼拝している。
さて、「媽祖(まそ)」というと横浜中華街や長崎の媽祖祭、媽祖行列が知られているが、沖縄でも琉球王朝時代には久米村に媽祖を祀る廟があった。媽祖というのは、約千年前に中国に実在した女性で、海を渡って病や災いから人々を守ったとされ、死後は海の神としてまつられた。航海や家内の安全を願い、海を渡った華僑によって、世界各地で媽祖廟が建てられている。久米村には、上之天妃宮と下之天妃宮のふたつの天妃宮があり、中国からの冊封使の船が那覇港に着くと船内に祀っていた媽祖像を天妃宮に安置し、一日、十五日に参拝したと記録にある。その天妃宮は明治に入り学校建設のため取り壊されたが、媽祖像は現在も久米村の天尊廟地の一角に祀られているという。
また、沖縄では旧暦の8月は、マジムン(魔物)や魑魅魍魎が出現する不吉な月とされ、特に旧暦8月8日から15日ごろにかけては、火の玉や悪霊が出没するので、火事や死など不幸の前兆とされた。そのため、沖縄では、いろいろな悪霊払いの行事が行われるそうだ。、夜になれば、沖縄の家々では悪霊を祓う「爆竹」が鳴らされる。爆竹は日本では花火扱いだが、中国では魔除けに由来している。以前、テレビで台湾の爆竹祭を見たが、100万本以上の爆竹、というよりロケット花火が飛び交い、ヘルメットをかぶり、防護服でロケット花火を浴びるという過激なものだった。起源はコレラからの厄除け祈願だという。
このほかに、沖縄では端午節(端午の節句)にはドラゴンボートレース〈中国に由来する幅が狭くて非常に長い船(ボート)、祭りやスポーツに使われる。たいてい龍の頭と尾で装飾され、大きな太鼓が載っている。沖縄ではハーリーとかハーレー、長崎ではペーロンと呼ばれている〉を行い、旧暦3月には先祖を供養する中国の伝統的祭日である「清明節」も祝う。清明(シーミー)という呼び名も、中国の二十四節気の一つ『清明』の時期に行うことからきている。 沖縄の清明祭にお供えする食べ物は中国と同じであるという。
このページは、Wikipediaなどネット情報を元に作成しました。下の写真は、首里城の「新春の宴−朝拝御規式」(左−じゃらん提供)と那覇ハーリー(右−トラベランド提供)。
◎このサイトで、中国関連は、
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「沖縄と琉球、ホントはどっち?」⇒こちらから
「中国人とバイキング」⇒こちらから
「首里城は中国領?」⇒こちらから
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