ある日突然、銃弾が…


《追記》は、このページの下部にあります。

ちょうど2ヵ月前のお話である。本土でもテレビのニュースで流れたと思うが、平成30年6月21日午後、名護市数久田(すくた)の農作業小屋に銃弾が撃ち込まれた。場所は、車で美ら海水族館へ行ったことのある人は覚えておられるかもしれないが、沖縄自動車道の許田(きょた)ICを降りてすぐ右側にある「許田道の駅」からわずか250メートルの場所だった。銃弾は小屋の引き戸を貫通し、壁にぶつかって跳ね返り、 窓ガラスを割ったものとみられた。現場には長さ約5センチ、直径1センチ強の銃弾のような物が落ちていたという。所有者が1時間半ほど買い物に出かけていた間だったそうだ。

ここは米軍キャンプ・シュワブ(注1)に隣接しており、米軍が使用した銃弾かどうか、同じ時間帯に訓練していた部隊を調べればすぐ分かることなのだが、あれから2ヵ月も経った現在でも、沖縄県警の捜査は遅々として進んでいない。それは、米軍の公務中に発生した事件だと米軍側が第一次裁判権を持つと規定する日米地位協定により、日本の警察はその壁に阻まれ、米軍の協力なしには捜査ができないのだ。

昭和47年の沖縄の日本返還以降、米軍による流弾被害は、キャンプシュワブとキャンプハンセン(注2)だけでも記録に残るものは21件(名護市、恩納村、金武町、宜野座村)あったという。それ以前も建物や走行中の車に銃弾が撃ち込まれたり、砲弾の破片が落下する事故は日常的にあったのだが、詳細が明らかにされていないので実態は不明なのだ。

今回の事件後、警察は米軍に対し、同種の実弾の資料提供を求めているが回答はない。前述の21件についても、米軍による被害以外には考えられないのだが、いずれも全容解決には至らず、県警は被疑者不詳のまま軽犯罪法違反容疑で書類送検する形で捜査を終えている。(以上、琉球新報の記事などを参考に作成)。今回は、県選出の国会議員らが在沖米軍のトップらを殺人未遂と器物破損容疑で刑事告発しているが、捜査ができなくては取り調べも出来ないだろう。

沖縄の基地周辺では、事故が起こるたび、危険と隣り合わせの生活を強いられている現実が浮き彫りになるだけで、被害は絶えることがない。

(注1・2)キャンプシュワブは名護市など、キャンプハンセンは金武町(きんちょう)などにまたがる米軍管理の基地。両基地には戦闘部隊が駐留し、重機関銃やライフルを用いた実弾射撃訓練を行っている。訓練の実施の際、米側は具体的な訓練場所を日本側に通知しないので訓練の実態は分かっていない。キャンプハンセンでは、日本復帰以前は、海上からの艦砲射撃や戦闘機からの爆撃訓練も行われていたという。また、平成になっても沖縄では、極めて危険な道路越えの実弾射撃訓練(155ミリりゅう弾砲)が行われていた(現在では、北海道など本土の自衛隊演習場に分散、実施されている)。

NEW
《追記》米軍、6ヶ月経って認める
名護市数久田の農園の作業小屋に打ち込まれた実弾について、米軍が演習場から発射された流弾だったと沖縄県警に認めた。県警は発射直後から米軍に紹介していたが、6ヶ月近くたった12月12日、書面で回答したそうだ。米軍は「管理基準のミス」としているそうだが、県警の求めている同種実弾や資料は、未だ提供されていない(平成30年12月13日付け琉球新報より)。

流弾に注意

国道329号線沿い看板。突然の流れ弾にどうやって注意したらいいのか?


◎このサイトの米軍関連ページ
 ・オスプレイが追ってくる ⇒ コチラから
 ・空から米軍機が落ちてくる ⇒ コチラから
 ・元海兵隊員の犯罪 ⇒ コチラから
 ・不時着か墜落か ⇒ コチラから
 ・沖縄では車上狙いに注意! ⇒ コチラから
 ・車の運転(米軍関連は、このページの後半の追記部分) ⇒ コチラから



ナビゲーションはトップページにあります。⇒ TOPページへ

背景の「読谷山花織」は、「ゆたんざはなうぃ」または、「よみたんざんはなおり」と読みます。琉球王朝のための御用布として織られていました。絶滅寸前だったものを、昭和39年に読谷村で「幻の花織」として復活しました。