沖 縄 移 住 生 活 始 め ま し た
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《追記》普天間飛行場周辺の米軍機飛行ルート図
普天間飛行場の周囲の民間地には、空からいろいろなものが落ちてくる。先日も浦添市の浦西中学校のテニスコートに、ヘリのプロペラの部品である20センチ四方程度の黒いゴムの切れ端のようなものが落ちてきた。ここ数年の、私の記憶にあるだけでも、飛行場隣接の緑が丘幼稚園の屋根にヘリの部品が、また、普天間第二小学校にはヘリの窓が原形のまま運動場に落ちてきた。校庭にいた生徒とは10メートルしか離れていなかった。オスプレイがアルミの部品を落とした。AH1攻撃ヘリがミサイル発射装置など200キロの部品を落下させたなどなど。もっと古くは沖縄国際大学のキャンパスにヘリが墜落したこともあった。
私も沖縄に住む場所を探すとき、飛行場の周りだけは避けてきたが、飛行場から離れていても我が家の上空を戦闘機やヘリ、オスプレイ、輸送機などが毎日のように飛んでいる。一昨日、琉球新報に普天間飛行場周辺のどこの上空を米軍機が飛ぶのかを示すルート図が掲載された。以前、ネットで調べても なかなか見つからなかったので、沖縄移住を計画している皆さんには是非知っておいた方がよいのではと、新聞から転載させていただいた。地名の文字が小さいので、本土の人には分かりにくいかもしれないが、普天間飛行場の全体図の位置、沖国大、浦西中学などの場所を参考にしていただきたい。
《追記おわり》
本土から沖縄に移り住むためにアパートを探していたときも、また、沖縄県内で転居するときも米軍基地の周辺だけは避けてきた。理由は騒音である。朝から晩まで航空機に離発着を繰り返されたら安住できないと思ったからである。新聞報道によれば、普天間第二小学校の教室内(窓は解放)で105.7db、嘉手納道の駅で102.4db、沖縄市の北美小学校では103.2dbを記録している。騒音の100dbは、電車が通る時のガード下に相当する。
先日、琉球新報発行の沖縄戦後新聞で、復帰後の米軍機墜落は、43年間で47件発生していることを知った。単純計算では、1年に1件以上のペースで落ちている。それだけではない。重大事故になるかもしれない不時着は、518件も発生しているという。つまり、墜落と不時着と合わせると1年に13件。ということは毎月1回は どこかで落ちているのである。落ちるのは基地周辺だけではなく、全島にわたっているので、危険なのは沖縄ならどこでも一緒かもしれないが、誰だって危ういものからは遠ざかりたいと思う。
平成28年12月13日に名護市の東海岸に落ちたオスプレイは、沖縄県では「墜落」と言っているが、日本政府と在沖米軍は「不時着」と発表している。どちらでも落ちたことには変わりない。沖縄に移住しようと思っている方には不安材料だが、基地が我々の生活を脅(おびや)かしている実態は、基地が無くならない限り存在し続ける。
沖縄戦後新聞に掲載された米軍機の墜落年表(一部) |
このページを書いた後、琉球新報が嘉手納基地の飛行差し止め関連で「広大な基地 脅かす日常」という見開き記事を特集していた。それによると、「嘉手納飛行場周辺の住民は、常に命の危険と隣り合わせにある。過去には米軍の航空機の墜落により多くの死者が出た。米航空機事故の92.4%は嘉手納基地で発生しており、昭和34年6月には、石川市(現在はうるま市)の宮森小にF100ジェット機が墜落し、児童11人を含む17人が死亡した。同36年には具志川市(現在はうるま市)川崎、同37年には嘉手納町屋良で航空機が墜落して死者が出た。また、嘉手納基地周辺のうるささ指数は、北谷町砂辺で117.7db、沖縄市知花で115.9db、うるま市昆布で112.2dbである」(琉球新報より)。騒音の120dbになるとプロペラ飛行機のエンジンの直前、近くの雷鳴に相当する(東邦精機HPより)という。
道の駅「嘉手納」屋上から見たH29/02/20の嘉手納基地。この日は雨が降っていたからか、あまり飛んでいなかった。 |
◎このほか米軍関連は、
・オスプレイが追ってくる
・元海兵隊員の犯罪
・沖縄では車上狙いに注意!
・「不時着」か「墜落」か?
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