沖 縄 移 住 生 活 始 め ま し た
もう40年近く前のこと。国道58号線を走っているとき、道路脇にコンクリート造りの変わった建物がよくあるので、何か?と聞いたらお墓だと説明された。「エッツ、お墓?」と思わず聞き返したほど、墓というには巨大だった。人が住めそうだ。お盆になると下の写真(左−読谷村立歴史民族資料館提供)のように、墓の前で親族が集まって先祖を供養すると云う(写真の解説にあるシーミーとは、清明と書き、毎年、春分すぎから4月中に行われる行事。この時期に沖縄を訪れれば各地で見ることができる)。なるほど、墓の前は芝生広場になっているところもある。単独で建っていたり、何軒も並んでいたり、コンクリートもあれば御影石やブロック造りもあり、屋根が神社の様な造りもあれば、切妻風や陸屋根もある。破風墓とか亀甲墓、美ら墓など、いろいろ種類があるそうだ。下の写真(右)は、まるで要塞のようだ。
家探しをしていて気に入った物件があっても、住宅密集地なのに建物の裏にお墓があったり、窓から墓地が見えたりして断った物件が2件あった。グーグルストリートで見たら隣が墓だったこともあった。それほど、お墓は市街地と言わず郊外といわず、アチコチにある。案内してくれた不動産会社の営業マンも「沖縄では、ありふれた景色ですよ」と言う。本土の墓地とは、まったく雰囲気が違うので、私は、さほど気にならないが、家内はお墓の近くは霊が彷徨(さまよ)っているのでイヤだと言う。気持ちは分かる。
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