バナナと芭蕉



バナナ 芭蕉
バナナ 芭 蕉

沖縄では、家庭の庭にバナナが植えられているのをよく見かける。高さが3メートルくらいになるうえ、1枚の葉が1メートル以上もあり、それが重なっているので、数本植わっているだけで、そこだけ鬱蒼(うっそう)として見える。モンキーバナナのような実をつける。そのバナナとよく似た植物に芭蕉がある。本土でもよく知られている沖縄の歌に「芭蕉布」があるが、その原料となる植物である。私は、その芭蕉とバナナの区別がわからない。どちらも同じように見える。並んで植えてあるところはなく別々に見るので、よけいに違いが分からない。サークルの仲間に聞くと「口では説明できなけれど、見れば分かるよ」と言われるが、見ても分からないのである。

ネット検索をしたら、分からない理由が分かった。実は、両方とも同じ種類で、バナナも芭蕉も「バショウ科バショウ属」に分類される。芭蕉は、英語では "japanese banana" と言うそうだ。食用になるものがバナナで「実芭蕉」といい、布になるのは「糸芭蕉」という。染色を趣味にしている女性にお聞きしたら、「似ているけれど、葉の裏を見ると違いが分かる。葉の裏が白っぽく粉をふいていればバナナ。薄い緑色なら糸芭蕉。糸芭蕉もバナナと同じような実をつけるが、種が多く食用にはならない」と教えてくれた。家の周辺にはバナナしかないので、次回、大宜味村に行ったら芭蕉もしっかり見てこよう(大宜味村には「芭蕉布の里」があり、伝統的な技法で芭蕉布を織っている)。

話は変わるが、俳人の松尾芭蕉は、なぜ芭蕉とつけたか、という話を中学生時代に先生から聞いた(本名は「忠右衛門宗房」−Wikipedia)。自分の庵に芭蕉を植えたからと言うのは間違いで、自分の庵を芭蕉庵と名づけたので、芭蕉と名乗ったのだと。芭蕉と名乗ったので、弟子が芭蕉の株を譲り受けて植えた。また、読み方は「ばしょう」ではなく「はせを」であると。50年も前のことなのに覚えていた。よほど印象深かったのだろう。なぜ芭蕉と名乗ったのかは忘れてしまったので調べてみた。「芭蕉の大きな葉は風に吹かれるとすぐに破れやすく、はかないものの例えでもあった。その芭蕉の葉の様子や特性に、自分の俳諧人生を重ね合わせた」と西沢翔氏は述べている。何か難しい話になってしまったので、この話はここで終わりにするが、もし、芭蕉という植物のことを江戸時代にバナナと言っていたら、「古池や 蛙飛び込む 水の音」(松尾バナナ)。何か変だナァ。もし、そうなら、吉本ばななさんはペンネームを変えたかも。

なお、このページを書き出すとき、よほど「家庭の庭にバナナの木が…」と書こうと思ったが、バナナは、「いくら背丈が大きくても、木ではなく草の仲間である」ということを聞いていたので、単に「バナナ」とした。上の写真:左はバナナ。右は芭蕉(芭蕉は、たびらい沖縄さんのHPよりお借りしました)。参考までに、草と木の違いは何かと言うと、年輪があるかないかであるそうだ。 年輪がなければ "草"、あれば "木" ということになる。「咲くやこの花館」の久山館長談「バナナやパイナップルは立派な実を付けるが、木ではなく "多年草"である」と言う。ところで「ラベンダー」は、草だと思っている人が多いと思うが、年輪があるので、れっきとした "木" ということになる。

ところで、鉢植えでバナナが実ったというニュースがあった。もちろん、沖縄での話。⇒ コチラから

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