仲村清司

1,034円 光文社


 

 

京都人と沖縄人の腹の内(仲村清司著)後編

後編…沖縄人について

前編の京都人は ⇒ こちらから

沖縄の「テーゲー」とは、漢字で書くと「大概(たいがい)」。物事を真面目に突き詰めず、テキトーに生きるという意味で、沖縄の人々の特性を示す言葉である。文脈によっては「いい加減」ではなく、ヤマトンチュ(本土人)には信じられないが、「なかなかやるな」という褒め言葉にもなることもある。これは、チョット住んだくらいでは、なかなか理解できない。

それと、「沖縄の人」=「時間にルーズ」と思っている人がいる。確かに沖縄の方の中には、時間の観念が無い方もおられるようだ。「ウチナ~タイム」と言う言葉がある。約束の時間に遅れたり、物事が予定通りに進まなくても、広い心で受け入れる沖縄の文化や歴史的背景(鉄道インフラの未整備など)から生まれたらしい。 時間に厳密でなくても生活が成り立つ土壌のようだ。

私が沖縄に来て、地元のスポーツクラブに参加させてもらった新年会のことである。遅れてはいけないと思い、開始の30分前に着いた。そうしたら私より早い人は、お一人だけだった。聞いたら、その方は、千葉県からの移住者だった。10分前になった。参加予定者は40人だったが、来ているのは、ほんの数人。千葉出身の方に聞いたら、「大丈夫ですよ。そのうち来るから」と言ったとおり、時間になったら、いつの間にか始まっていた。しかし、宴会は、23時になっても、24時を過ぎても、終わらなかった。その間に、一人抜け二人抜けして、だんだん少なくなって行ったが、新参者が途中で抜けては失礼かと思って付き合っていた。そして「カチャーシー(宴会の締め、参加者全員が音楽に合わせ踊る)」が始まったときには、深夜1時を回っていたので、帰りのタクシーを探すのが大変だった。 しかし、ゆいレール(モノレール)の開通などで、徐々に時間感覚に変化も生まれつつあるが、根底にある、おおらかな文化は、今も息づいている。

「ウチナ~タイム」は、まぁ、なんとかなるさという精神となり、
困りごとをオバー(おばあさん)に相談に行くと、オバーはこう言う。「てーげーぐわぁーで大丈夫やさ~ 」
意味は、「テキトーにやっとけばいいよ~」

ほかにも、沖縄県人と会話をするとき、よく聞く言葉「だからよ~」には、意味がたくさんある。⇒ コチラから

仲村氏は、沖縄人は「相手を追い詰めず、自分も追い詰められない」という論理であり、これを、よその土地から来た人には理解できないので、オヒレがついてしまったと言う。 しかし、これは、ヤマトンチュ(本土人)には、到底、理解できないのである。本土の常識が通用しないのである。沖縄に住んで十数年、「テーゲーにしとけ」と思ったことも度々あった。もちろん、「郷に入っては郷に従え」というから、大人の対応をしたが…。
では、巷にあふれる沖縄人に対する感想は「いいかげん、責任感がない、排他的、集中力がない、時間にルーズ、何事もなんくるないさぁ~で済まそうとする、恩を忘れる…」、納得。もちろん、人にもよるが…。

沖縄の方言に、「いちゃりばちょでー」と言う言葉がある。意味は、「出会った人は、兄弟のように仲良くしよう」という意味である。ところが、近所付き合いは、お世辞にも、いいとは言えない。私が本土にいるときは、町内会には当たり前のように加入し、ご近所付き合いもあったが、私が沖縄に引っ越してきたとき、大家さんに、「町内会長に挨拶に行きたいから、家を教えて欲しい」と言ったら、「挨拶なんて必要ありません。それにアパートの人は入らなくてもいい」とさえ言われた。あとで、ネットで沖縄の町内会への加入率を調べたら、那覇市のデータを見つけた。20.9%だった。

この3年で、私達夫婦が住んでいるアパートで3家族が転居し、新しい住人が2家族入居した。転入された階下の方は、わざわざご挨拶にお出でになったが、もう1家族は、隣の部屋の方だったが、全く挨拶もなく引っ越しされた。というか、いつの間にか居なくなっていた。その方とは、2年半も隣に住んでいたのに、ついに名前も知らなかった。新しい住人は、顔を会わせれば挨拶はするが、初対面のときも「引っ越してきた○○です」と名乗られず、郵便受けにも名前が書いてないので、お名前も知らない。分かっているのは小学生の子どもが2人いることだけ。この子達は、引っ越しの荷物が届く前日に階段で遊んでいたので、「君達、どこの子ですか?」と聞いたら「引っ越ししてくるの」と言ったので、新住人の子だと分かった。中には、大人なのに挨拶しても、いつも「あぁ」とか「うぅ」としか言わない人がいたが、奥さんと話しながらエレベーターから出てくるのを見るまでは、失礼ながら、言語障害の方かと思ったほどだった。本土の人間から見れば、転居しても入居しても近隣に挨拶するのは、ごく当たり前のことなのだが、ほとんどの方がしないので、気にする必要はないのかも・・・。ウ~ン、よく分からない。同じ屋根の下に住んでいるのにねェ。

私は「町内会」と言ったが、「自治会」というのが正式な名称のようだ。大学の先生から聞いた話だが、昭和30年代までは、新参者は自治会に入るのに保証人が必要だったとか、よそ者は入りにくいなど、かなり閉鎖的であった。仮に入れても役員にはなることも難しかった。そういう悪いイメージの名残りが、加入者が少ない原因のひとつかもしれない。

では、仲村氏の著作の目次をコピーすると、次のような内容になっている。
誰も考えもしなかった千2百年の歴史と文化の中心地京都と、そこから最遠地で独特の歴史と文化を育んできた沖縄を結び付け、相似性を見出した内容は、著者が目で見、足で歩いて、手で触れて、更に、料理を食べ、酒を飲んで身体全体で土地と人に溶け込み、歴史に想いを馳せる。大阪で生まれ育った沖縄二世の複眼的感性で、大上段に構えず普通の街角の情景から描き出したものである、と解説にある。
【嘘】京の茶漬けとイケズとテーゲーと
【歩】散歩と渡来人と多様性と
【郷】カウンターと郷土愛とお笑いと
【道】昆布と富山の薬売りと始末と
【飯】チャンポンとピネライスと弁証法と
【甘】向田邦子と松風とまちかじと
【書】読書家と檸檬と検定と
【魔】シーサーと鍾馗さんと魔物の正体と
【戦】空襲と京都の塔と原爆と
【絆】念仏踊とエイサーと三条大橋と
【イケズ石とイチャリバチョーデーと裏の裏と】あとがきにかえて

なお、本のタイトル通りの内容は、前半の3分の1くらいまで。あとは、まるで店舗紹介のグルメと寄せ集めエッセイのよう。著者は、沖縄と京都の知られざる遠くて近い、深い関係、比較を7年間かかって書いたという。

最後に、この本に対する賛否を、ネットの書評からご紹介すると、
◎感想は・・・なかなか面白かった。京都人へのパッシングについては、よく知らないので、え?京都人ってパッシングされているの?という感じだったが、沖縄人へのパッシング、沖縄人論については、著者の言われる通りかな、と思う。著者の主張される「京都と沖縄が似ている説」については、観光客体験しかない私には判断できないが、居住体験のある著者が言われるのだから、似ているところはあるのだろう。ただし、戦争被害について、京都と沖縄が似ているという主張には共感できない。222頁~223頁の「京都の塔」碑文には感動した。
◎日経書評に出ていたからという、それだけで買ってしまった。結果、大失敗です。こんなブログレベルの殴り書きを新書レーベルで出すとは、光文社も落ちたもんだし、日経書評を買いかぶってた自分の馬鹿さ加減を思い知らされた。内容が軽薄(かるくてうすっぺらい)、1文(句点1つ)書いたらすぐに改行って、椎名誠気取りですか。街道をゆく司馬遼太郎気取り、街歩きで地形を独白するブラタモリ気取りなど、自己を大物に見せようとする作為が鼻につく。内容はB級グルメの行きつけの店舗紹介に終始していて、これを文化や歴史のフレーバーで盛ってるだけです。対価払って買うような代物ではないので、書店か図書館でパラ見すれば得体が知れます。読後に嘔吐を感じる珍しい本です。

どう解釈するかは、人によってマチマチ。どう思うかは、あなたの自由である。


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