沖縄移住生活始めました
1,034円 光文社
京都人と沖縄人の腹の内(仲村清司著)
前編…京都人について
この本の内容は、著者である仲村氏が、京都と沖縄の知られざる〝遠くて近い、深い関係に着目し、「京都と沖縄は似ている」というのである。同じ日本なのだから、似ている部分があっても不思議ではない。著者の仲村氏は沖縄については大先輩なので、ごもっともな記述だが、京都については、私は異なった認識を持っている。
私は、今、沖縄に住んでおり、ずいぶん前だが京都にも住んでいたこともある。確かに、京都と沖縄には、陰暦の行事を大切にするという、大きな共通点があることは認めるが、京都については、この本の内容は、「秘密のケンミンshow」レベル。ホンマカイナと、??がつく内容も多い。この本を読んだ人の口コミを見たら、「論評も薄っぺらいB級ブログ」、「中身は、B級グルメだ」という人もいるくらいだ。
《ご参考》「秘密のケンミンshow」レベル」というのは、実際にはないことを、大げさに誇張して番組を作る、つまりヤラセが多いことを言う。ネットを見ていると、テレビでは、めずらしいことではないらしい。
ここからは、これを書くきっかけになったのは仲村氏の著作だが、同氏の著作の内容とは関係なく、私の京都に対する思いを述べることにする。京都に住む方々がお読みになると、少なからず、お怒りに触れるかもしれないが、私自身は、京都にあこがれを持ち、京都の人々には思いを寄せ、敬意を払っており、他意は全くないので、お許しをいただきたい。
まず、京都人の「イケズ」について
関西人や関西在住でないと、「イケズ」の意味がよく分からない人もいると思うので、私なりに説明すると、イケずとは、簡単に言うと「意地悪」や「意地悪な人」を意味する。京都では特に「表と裏があって、遠まわしに嫌味を言う」ことや、「相手の意図を読み取って、それを巧みに伝える」 というニュアンスもある。会話の中で「イヤー、イケズやなぁ~」は、本当に意地悪な人だと言っているときもあれば、異なるニュアンスのときもあるが、艶やかな「イケズ」は、色街の話しなので、男性は女性にそう言われたからといって勘違いしないように。「イケズ」と言われたら、基本的には非難されていると思って間違いない。
私が京都に住んでいたとき、聞いた話である。
引っ越してきた人が、隣のお家(うち)に挨拶に行ったとき、
隣の奥さんに「まぁ、よう、お越しやした。おぶぶ(お茶)でもどうですか」
と言われても、絶対に家にあがってはいけない。もし、家にあがったら、
「今度、越してきた奥さん、図々しい人でっせ」と、周り中に言いふらされる。
こういう人が「イケズ」なのである。
しかし、仲村氏は、京都人の「イケズ」を、聞いたことも体験したこともないと否定する。この話は作り話で、完全なフィクションという。しかし、それが作り話ではないことは、京都に住んでみればわかる。
京都人ほど、都と田舎を意識している人種はいない。「都鄙」という言葉がある。読みは「とひ」である。「都」は文字通り「みやこ」であり、「鄙」は、イコール「卑」つまり、田舎であり、卑しいという意味を持つ。江戸時代の学者、石田梅岩は、『都鄙問答』という問答倫理書を著しているくらい、「都鄙」は、よく知られた言葉である。
京都人のなかには、ほんの数代前に京都に住んだけなのに、自分は都人(みやこびと)だという意識があり、京都以外の地は、卑しい場所だという認識を持つ人がいる。地方から来た人々を見下しているのである。それは歴史が物語っている。京都人が戦前と言うと、太平洋戦争ではなく、応仁の乱だと言った人がいる。いつの時代の人やろなぁ?。随分、見栄はってます。
(注)「京都十代」とよくいわれる。それは京都の歴史の重みを表していて、十代住み続けて、はじめて京都人として認められるという京都のうちもの(排他的)体質を表している。 だから京都では、創業百年ぐらいでは老舗とはいえないと言う(注おわり)。
また、同じ京都人でも住んでいる地域によって差別される。それが、「洛中」と「洛外」である。
文字通り「洛中」は、市内中心部のこと。「洛外」は、周辺部のこと。厳密にいえば、秀吉が京都の防御と境界を明確化するために「御土居(京都を囲む土塁)」を築いた。御土居の内側を「洛中(東は鴨川、西は紙屋川、北は鷹ヶ峯、南は九条辺りまでだが、もっと狭い地域をいう場合もあるようだ)」、そして外側を「洛外」と呼ぶ。「洛外」には、「洛北」「洛南」「洛東」「洛西」という区別もある。つまり、これは、「洛中」で生まれ育った人が京都人で、「洛外」で生まれ育った人は、京都人ではないという「洛中」に生まれ育った人だけに通じる「プライドと偏見」である。
AIに、京都人の差別意識について聞いてみた。「嵯峨野から肥(こえ)を汲みに来た」という表現がある。同じ京都でも嵯峨野は京都でないと言っているのである。かつての京都における地域間の格差や、特定のエリアに対する差別的な意識を背景にした言葉であり、市街地(上京・下京)の住人が、農村部であった嵯峨野などの周辺地域を軽視し、その土地の人々を「肥(し尿)を扱う身分」として差別的に扱った歴史的な背景が示唆されている。
京都人が排他的だという話しの続きだが、それは、「一見さんお断り」という”慣習”にも見える。これは、京都の伝統や文化、そして人と人との繋がりを重んじる考え方から生まれたもので、
初めての客だけでの来店を受け付けず、常連客の紹介や同伴が必要なシステムを指す。
この「一見さんお断り」の起こりは、店と客の信頼性を重視しているからだという。
お座敷遊びなどでは、後日支払い(ツケ払い)が一般的であり、このシステムは、店と客の間に強い信頼関係がなければ成り立たない。
初めての客では、この信頼関係が築けていないため、お断りする理由となりうる。
また、店側は客の趣味や嗜好を把握し、きめ細やかなサービスを提供するため、
初めての客では、十分なもてなしが難しいという考え方もあるようだ。加えて、常連客ばかりの空間に、全く知らない客が入ることで、
場の雰囲気が壊れることを避ける目的もある、と京都人は言う。このあたりに、京都人の繊細な価値観がうかがえる。
お茶屋は基本的に、一見さんお断りである。料亭でも、舞妓や芸妓を呼ぶような店では、一見さんお断りが一般的のようだ。
しかし、大昔の私の学生時代、初めて入った京阪三条近くの、ごく普通の料理屋で、
カウンター席で、仲間と三人で酒を飲みながら歓談していたところ、一人の男性客が入ってきた。
店の女将は、「すんまへんなぁ、今日は予約でいっぱいですねん」と断った。しかし、私たちは予約してなかったのに、入れてくれた。
帰るとき、席は、まだたくさん空いていたので、そのことを尋ねると、
女将は「あぁ、あのお客はんは、初めて来はった人ですよって。あんたら学生はんは、気にせんでもええ。悪いこと、せえへんよってな」。
我々 学生は、特別扱いされたようだ。ここは、店側が客を選ぶ?。
なんや、よう、分からんけど。
といっても、住んでいるときは、京都は、学生には優しい街だった。
私が下宿していた家のおばあさんは、私が学校へ行くとき、いつも「お早うお帰り」と言って送り出してくれた。早く帰ってこないとイケナイのだろうかと、いつも思っていたが、それが「行ってらっしゃい」という意味だと分かったのは、ずいぶん後になってからのことだった。優しく「気を付けて無事に帰ってきてね」と言っていたのである。やさしいおばあさんだった。
また、京都で「イケズ」と言いえば、すぐ思いつくのが「イケズ石」である。この石は、車で京都の街中(まちなか)を走っていると、よく見かける狭い路地の曲がり角に置かれた石のことで、平安時代からある。車が家や塀にぶつかることを防ぐために置かれたものである。つまり、平安時代に牛車や荷車の私有地への侵入を防ぐために、これ以上は入るなと言う目安だが、京都では、「親切石」とも言う。何で親切かと言うと、京都人の言い分は、壁や塀にぶつけたら、「もっと高うつきまっせ」と教えているからだとか。見たことない方は、こちらからご覧になれる。
⇒ コチラから。
低い位置にあるので、車からはとても見にくく、バンバーやサイドシルを擦ったりぶつけることがある。私は学生時代は、「スバルのてんとうむし」に乗っていたので、気にならなかったが、社会人になってランクルプラドで行ったときは、左のサイドステップを擦りそうになるので、暗くなると、路地を曲がるのにホントに邪魔だった。今は、石に変わって鉄製の「イケズ棒」もあるそうだが、実物を見たことはない。
2024年8月、中国人の観光客が、この石に車をぶつけてキズがついた。彼らは、これを石のバリケードだと主張した。お巡りさんは、アンタの不法侵入と器物破損だと教えたそうだ。
このように「イケズ」は、意地悪に由来するが、巷にあふれる京都人に対する感想をまとめると、「よそ者に冷たい、裏表がある、意地が悪い、警戒心が強い、地方出身者を見下す、嫌味、陰湿、排他的、腹黒い、根性悪い、皮肉屋、陰険、せこい…」、どんだけあんのかと思うほどだが、どれも、京都人でなくても、人によっては当てはまりそう。
しかし、こういうことを言われても京都人は、正面切って反論はしない。次のような唄で返す。
「♪ホッチッチかもてなや」
ほっちっち かもてなや
おまえの子じゃなし 孫じゃなし
赤の他人じゃ ほっちっち
ほっちっち かもてなや
おまえの子じゃなし 孫じゃなし
親類になったら かもてんか
生唄でお聞きになりたい方は⇒コチラから。
意味をよく考えると、実に排他的である。「余計なこと、構わないで」と歌っているのだから。これは「京都人の本音」の唄である。回りからの少々の誤解や評判の悪さに耐える図太さがないと、都の住人はやってられないのである。
英語で言えば、Get off my back. 故財津一郎さんなら「ほっといて、ちょう~だい」
では、京都人の口から出て言うことと、心の中では正反対という例を挙げてみよう。
・「考えときますわ」は、「お断りしますわ」という意味なので、政治家が「検討します」と言ったら、「やりません」と言うのと同じである。
・「いつでも気軽に遊びに来ておくれやす」は、「気軽に遊びに来ないでね」と言う意味なので、こう言われたら「また、こんど寄せてもらいます」とか「え~、近いうちに」と返すのが正しい受け答えである。
・来客に豪華な料理を出して「何もあらしませんけど」は、「このご馳走、すごいでしょ」と言っているので、こういうときは、最上級でホメ捲くろう。
・家の近所で出会って「どこへ行かはります?」は、挨拶だけで済ませては愛想無しなので、社交辞令で聞いているだけなので、心の中では「どこへ行こうと大きなお世話だ」と思っても、「チョットそこまで」と返せばいい。
・家に来た客に「ええ時計してはりますなあ」は、「もう、遅いでぇ、早う帰りなはれ」の意味なので、すぐ失礼しよう。
・隣りの家の奥さんに「お宅のお嬢はん、ピアノ上手どすなあ」と言われたら、「ピアノの音、やかましいんやけど」という意味である。ピアノを弾くときは、窓を閉めよう。
・他所から来たのに京ことばで話す人に「京ことば、お上手ですなぁ」と言われたら「下手な京都弁、ムリして使わんで欲しいわ」と言っているのである。早く打ち解けようと、ムリして京ことばを使う必要はない。標準語で、十分通じる。
こんなん聞いたら、京都に住みたいと思わはりますか?。下手な京都弁でスンマヘン。
では、京都の「ほっちっち」をご紹介したので、最後に、大阪バージョンもご覧いただきたい。
大阪版「ほっちっち かもてなや」
ほっちっち かもてなや
かもたらとことん かもてんか
おまえの子にして、孫にして
ええ服着せて養うて
財産ようけ分けてんか
それがいやなら かもてなや
余計なお世話や ほっちっち
同じ関西でも京都と大阪の違いが、実によく分かる唄である。他愛のないわらべ唄のようだが、気質をよく表している。
以下後編に続く、後編は ⇒ コチラから。
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