無人島で一人暮らし


Part2は、このページの下にあります。

西表(いりおもて)島近くの無人島に人が住んでいるという話は、以前、テレビの番組で見たことがあった。今回は、たまたま八重山郡竹富町の役場を石垣島から西表島に移転する?(⇒コチラから)という話を このサイトで紹介したとき、詳しい情報をネットから入手した。

その人は、沖縄県西表島の西2kmに位置する小さな無人島、外離島(そとぱなりじま)に26年間、一人で暮らす長崎真砂弓(ながさきまさみ)さんという男性である。もちろん島には電気も水道もガスもない。定期船も来ない。長崎さんは、「人間にとって死に場所を見つけることが一番大事である。自分はついに死に場所を見つけた。この地で自然に囲まれながら死にたい。ここで天命を全うする」「人間には合わせないけど、自然には従う」が彼の信念と言う。どういう生活をしておられるかは、次の動画をご覧いただきたい。

無人島に住む長崎さんが、アメリカとオーストラリアのABC News(A naked retirement: One man's life away from it all)で紹介された。ご覧になる方は コチラから。 このサイトが消されたので⇒ コチラから

《お断り》このページは、オリジナルではなく、全てネット情報のみで作成した。長崎さんの場合は移住とはいえないだろうが、ごくレアなケースなので、こういう生き方をしている人がいることでご紹介した。上記の動画は2年前に放映されたものなので、長崎さんは今年、80歳以上になっておられるだろう。



 
西表島 外離島
HP「八重山諸島」の地図に加筆 外離島(Wikipediaより)


なお、無人島というタイトルをつけたが、一人でも住んでいる人がいるなら、無人島ではなく孤島というべきかも…。NEWSポストセブンによると、この島の所有者は台湾人の資産家だそうだが、2年前に奥さんとともに不慮の死を遂げられたという。

《追記》
無人島で30年も一人暮らしをしていた長崎さんは、平成29年11月現在、島にはもういない。何故なら島から追放されてしまったのだ。長崎さんが出演したTV番組を見た土地の所有者の家族から、出ていくように言われてしまったのだそうだ。外離島を離れた長崎さんは、その後、同島から3キロほど離れた西表島船浮湾の「モクタンの浜」と呼ばれる海岸に移り住み、再び元のような生活を送っているとのこと。そこは、集落もないので、誰も住んでいない格好の土地だった。しかし再び安住の地が見つかったのも束の間、今度はその場所が国有林だったため、林野庁から立ち退き勧告を受けたのだ。長崎さんは、止む無く次の移住先を探していたそうだが、その後の消息は聞こえてこない(この情報は、東スポwebより)。

モクタンの浜…西表島西部の船浮湾(ふなうきわん:場所は上の地図に加筆)にある浜で、陸路がないので船でしか行けない。道が無いのにどうやって行ったのだろうと思ったが、ネット情報を見ると、外離島に住んでいたころから買い物のための船を持っていたようだ。西表島に買い物に行くときは服を着ていたと、商店のおかみさんが語っていた。

《追記》
平成30年6月27日、このページへのアクセス数が突然、多くなった。それも、国内ばかりではなく、半数近くはアメリカ、オーストラリア、台湾など、21ヵ国からのアクセスだった。どうして海外から多いのか調べたら、スプートニク日本という国際放送通信社が、次の内容の記事を発信したことが分かった。箇条書きにすると、
 ・長崎さんは、現在82歳。
 ・先日、地元当局に強制的によって島から連れ去られ、病院に収容された。
 ・ただし、先日とはいつなのか、地元当局とはどこなのか、なぜ、強制的に連れ去られたのか、どこの病院に収容されたのか、現在どういう生活をされているのかは明らかにされていない。
「沖縄・無人島・一人暮らし」でネット検索すると、私のこのページが上位にヒットする。このため、アクセス数が増加したようだ。ネットでは、このスプートニク日本の記事(⇒ こちらから)を引用したサイトが見受けられる。スプートニク日本の記事はニュースなので、2018/06/27時点では見ることができるが、一定の時期が経過すると消されてしまうので、 見られなかったらゴメンナサイ!。

無人島で一人暮らし Part2


渡嘉敷村の「前島」も住民一人の孤島

平成30年11月、渡嘉敷村の前島にツアーで出かけた。ツアー名は「住民わずか1名 最少人口の『前島』に残る集落跡を巡る探検ツアー3日間」だった。私は、以前、西表島近くの外離島(そとぱなりじま)で一人で暮らす人の話を、このサイトにWeb upしたことがあったので、本島近くの島に1人で暮らしている人がいるというので、自分の目で見てこようと申し込みをした。

前島は渡嘉敷島の東約7km、那覇の西20㎞にある。つまり、沖縄本島と渡嘉敷島の間にある。周囲7キロ、面積は1.6㎢なので、大きな島ではないが戦前は350人の人が暮らしていた島だったという。しかし、自然災害が何度も島を襲ったうえ、昭和37年の台風の被害によって、当時の住民36名全員が沖縄本島に集団移住してしまってからは、長らく無人島となっていた。そして現在は、中村文雄さん(80才)という元島民の方が農耕などをするため島に通っているので、この無人島で一人暮らしをしているという次第だ。もちろん電気も水道もガスもない。電気は屋根ソーラーでまかない、水道は湧き水、ガスはカセットコンロという生活をしておられる。

そんな島に、我々一行は案内人を含め18名で上陸した。着いた桟橋は、平成30年9月の台風24号の波の力でコンクリートが大きくめくれ上がっていた。海沿いに歩いて最初に見たのは大きな崖葬墓(がいそうぼ:崖の中腹のすき間や穴を利用して棺を収め、前面を石で覆った墓。「平葺墓」や「破風墓」の原型といわれる)で、不気味なお出迎えだった。目指すは唯一の島民、中村さんの自宅。案内人の一人は、中村さんの家で泊まったことがあるそうで、もう一人の案内人も、以前、人が住んでいたころに来たことがあると言っていた。そして中村さんの先導で島を歩く。私も歩くのは早い方だが、中村さんは80才とは思えないほど健脚で、どんどん歩いて行ってしまわれる。

最初に薄暗い林のなかに二基の鳥居のあるところへ案内された。ノロと先祖を祀っているそうだ。小鳥の声も波の音も聞こえてこないほど静まりかえったこの地は、前島では一番パワーを感じる場所だった。ここで手を合わせてお参りをし、浜に戻る。次に行ったところは、元住んでいた島民が来た時などに泊まる小屋なのだが、トタンは屋根も壁も一部がめくれ、中はまるでごみ置き場のように生活道具が散乱していた。9月の台風で風速65mの大風をまともに受けで破壊されたのだそうだ。手も付けられないありさまだった。そして旧集落に入る。

人が住まなくなって55年も経っているので、家屋はすでにない。残っているのは各家々と道路との境界を示す石垣とブロックだけである。道幅1mほどの通路は草に埋もれ、人ひとりが通れるほどしかない。この島はハブがいないと聞いていたので入って行けるが、ハブのいる島なら入るを躊躇するようなところだ。道は碁盤の目のようになっているが、我々が歩いている道は、日ごろから中村さんが歩いている道なので雑草は少ない。そのほかの道は草におおわれて入っていけないが、草のない道をたどれば一人でも迷子になる心配はなさそうだ。

とある敷地に小さな祠が3基並んでいた。中村さんは「島を後にする島民が、自分の土地をマジムン(魔物)から守るために置いて行った祠だ」と言う。止む無く生まれ育った島を出て行かねばならなかった住人の苦悩、切ない思いが伝わってくるようだ。会ったこともない知らない人の土地だが、思わず、この先も土地を守っていってほしいと念じた。

広い空間に出る。鳥居のある島の神社があった。隣接して拝所もある。神社の前には大きなガジュマルがある。上空には陽を遮るものがないので木根をどんどん伸ばして地面に到達し、それが支柱根となって太くなっている。もし何十年後にか、ここに来ることがあったら、支柱根が元の幹より太くなり、どんどんと歩いているだろう。沖縄の方はご存じなのだが、ガジュマルは歩いて移動する木なのである。この近くにはカー(井戸)があり、中村さんの貴重な飲料になっているそうだ。このカーから自宅近くまで伸ばした配管は、台風で砂が入って出なくなってしまったという。


◎ 上記でご紹介した前島の写真は ⇒ コチラから



前島map

前島集落の地図(中村文雄著「語り継ぐめーぎぇらま」より)

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