「京太郎」…何と読むのでしょう?


京太郎

ちびっ子「ちょんだらー」(たびらい沖縄観光「全島エイサーまつり」より) 実際のエイサーでは大人が演じます


「京太郎」…さて、何と読むのでしょう?。本土の人なら、誰でも「きょうたろう」と読むでしょう。しかし、沖縄では「ちょんだらー」と読むのです。京太郎が訛ったといわれますが、「きょうたろう」から「ちょんだらー」になるには、いくら訛ったといっても、ちょっと無理があるような気もします。 (^-^)

京太郎とは、京都からやってきた太郎という意味です。HP「コトバンク」によれば、近世初期、美しい妻を領主に奪われ、息子とともに京都を追われて沖縄に流れ着いた京太郎一行の門付(かどづけ)芸が、琉球国の王から自由に喜捨(きしゃ:寺や僧に進んで金品を寄付・施捨すること) を得て仏教を広めてよい、という保証を得たと語り継がれています。門付集団は、明治末期まで首里郊外の行脚村(あんにゃむら)(詳しくは⇒コチラから)に住み着き、正月や稲や麦の収穫のころ、近郊の村々を巡って春駒(はるこま:注1)、人形芝居、念仏踊りなどを演じて生計をたてていました。

現在の「京太郎(ちょんだらー)」は、顔を白塗りにして滑稽な所作で場を盛り上げながら、エイサーの隊列の整理をするエイサーでの道化役のことをいいます。しかし、「京太郎」は隊列の整理や場の盛り上げだけではなく、エイサーの演舞進行という重要な役割も担っているのです。エイサーの前身といわれる前述の念仏踊りの踊り手(ニンブチャー)もチョンダラーが行ったことから、それがエイサーに取り入れられたと思われています。 Wikipediaによれば、地域によってはコッケイ、サンダー(三郎)、ナカワチ、チョーギナーなどとも呼ばれているそうです。

(注1)春駒…正月に馬の作り物を携えて民家を訪れて回った門付(かどづけ) 芸。現在では全国各地に伝統芸能の一つとして春駒踊りが伝わっています。岐阜県の郡上八幡の郡上節の一つに「春駒」があり、同じく、岐阜県白川村の「春駒踊り」、新潟県佐渡の「春駒(はりごま)」、山梨県甲州市高橋の「春駒」、そして、沖縄県の遊女が馬に扮して唄い踊る「ジュリ馬」も民俗芸能の一つでしょう。ジュリ馬について詳しくは ⇒ コチラから


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背景の「首里織」は、首里王府の城下町として栄えた首里において王府の貴族、士族用に作られていたもので、悠々として麗美な織物が織り継がれ、現在に至っています。この作品は、米須幸代さんの「グーシー花織」です。