沖 縄 移 住 生 活 始 め ま し た
沖縄には「ガマ」と呼ばれる洞窟がたくさん存在している。数年前の話だが、サークルの会長がEVの新車を買ったと言ってドライブに誘ってくれたときのこと。「この近くにチビチリガマがあるから寄っていこう」と言われた。「チリチリ(そのときは、そう聞こえた)ガマって何ですか?」と聞いたら、「エッツ、チビチリガマを知らないの?、本土の人は、沖縄のことを本当に知らないねぇ〜」と説明してくれた。
ガマとは、沖縄に多く見られる自然洞窟のこと。本島にはおよそ2,000ほどの洞窟があり、沖縄方言で「ガマ」と呼ばれている。沖縄戦では住民らの避難場所になったほか、日本軍の陣地や野戦病院としても使われた。
という説明を受けた。実は、何となく戦時中の防空壕というイメージはあったが、洞窟のことを「ガマ」ということは知らなかった。
Wikipediaによれば、戦争終盤には、「ガマ」で一般住民が集団で自殺する行為も発生した。主な事例として、伊江村のアハシャガマなど約100人。恩納村11人。読谷村のチビチリガマ83人。沖縄市美里33人。うるま市具志川14人。八重瀬町玉城7人。糸満市、カミントウ壕など80人などとされている。研究者の中には計1,000人以上との見方もあり、これは沖縄戦における住民死者94,000人の1%強にあたるという。
そのガマの一つ、83人が集団自決した読谷村の「チビチリガマ」が、平成29年9月12日、16才から19才までの地元の少年4人によって荒らされるという事件が起こった。テレビの全国ニュースにもなったので、本土でもご存じの方がおられるだろう。供えられた千羽鶴が引きちぎられて地面に散乱し、「平和」と書かれた額などが壊され、遺骨も残る壕内にあった瓶やつぼなどの遺品も割られた。事件発覚後、市民からの情報提供を受けて、警察が4人の少年を特定して話を聴いていた。調べに対し、少年らは「肝試しをする目的で訪れた」と供述し、「面白半分でやった」と犯行も認めたという。
住民が集団自決に追い込まれたという、悲惨な記憶を後世に伝える現場として保存されているガマを、少年らは何故、破壊したのだろうか?、何故、遺骨の眠る場所を踏み荒らしたのだろう?、 肝試しだけなら荒らす必要はなかったのに…。チビチリガマの歴史的背景を、沖縄で生まれ育った少年らが知らなかった、とは思えないのだが…。
ガマ深し 闇に百の眼 百の耳 渡辺宜
なお、読谷町観光協会のHPによれば、「チビ」=尻、「チリ」=切るの意味で、チビチリガマは浅い谷の底にあり、谷川を流れる細い川はガマへ流れるが、どこへ流れ着くのか分からないという事からこの名がついたといわれている。
写真は読谷村観光協会提供 従来は出入り自由だったが、残念なことに、事件後、ガマ内への立ち入りは禁止された。
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背景の「読谷山花織」は、「ゆたんざはなうぃ」または、「よみたんざんはなおり」と読みます。琉球王朝のための御用布として織られていました。絶滅寸前だったものを、昭和39年に読谷村で「幻の花織」として復活しました。