百人御物参(ももそおものまいり)


首里城の「百人御物参」を見に行ってきた。百人御物参とは、琉球王朝時代に、神女たちが首里城の御嶽やその周辺の聖域をお参りする行事で、年間に6回行われたという。今回は、その再現行事である。



百人御物参の行事

下之御庭にある首里森御嶽の前で「おたかべ(神女による祈りの言葉)」を唱える


御嶽では国王の長寿とその子孫の繁栄を祈り、また、航海安全、国土の安全、五穀豊穣を祈願した。百人御物参の行事を行う神女たちは、正殿裏の女だけの空間である御内原(おうちばら:注1)と正殿表側の御庭などの空間を巡るため、この行事は首里城での表の世界と内の世界をつなぐ行事ともいえる。

百人御物参の巡拝コースは、
1.神女は正殿(注2)の火の神(ひぬかん:注3)に祈願し、諸官は御庭で焼香して火の神へ遥拝する。
2.正殿や御内原の御嶽を巡拝した神女と城内の御嶽を巡るため諸官と合流する。
3.下之御庭にある首里森御嶽(すいむいうたき:注4)を拝む。神女による「おたかべ」が唱えられる。
4.京の内(きょうのうち:注5)にある御嶽を拝む。京の内は男子禁制のため神女のみが巡拝する(現在は男子禁制ではない)。
5.京の内から戻った神女たちを諸官が出迎え、再度、首里森御嶽を拝む。

この百人御物参に参加するのは、三平等(みふぃら)の大あむしら(注6)と呼ばれる上級神女を中心とした神女と親方(うぇーかた:注7)以下、王府の役人で構成される(首里城通信「御城だより」などを参考に作成。下記のは、サイトの管理人が加筆)。

首里森御嶽に向かう神女たち 首里森御嶽に向かう神女たち
正殿前の御庭を出て首里森御嶽に向かう神女たち

拝礼する神女と王府の役人

首里森御嶽の前で拝礼する神女と王府の役人たち

祈りをささげる大あむしられ 米と泡盛の供え物
米と泡盛を供え、祈りの言葉をささげる
京の内に向かう神女 京の内に向かう神女
大あむしあれを先頭に京の内に向かう神女たち
京の内を巡拝する神女

京の内を巡拝する神女たち、神女たちについて行くと正面からの写真が撮れないので、順路を逆行して待ち構えて撮影



(注1)御内原(おうちばら)…国王やその家族・女官の生活や城内祭祀が営まれていた空間をいう。 江戸城の大奥と同様、男子禁制エリアだった。
(注2)正殿…正式名称は「百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)」と呼ばれ、文字通り、たくさんの浦々を支配する御殿という意味。琉球王朝の政治の中心 。
(注3)火の神(ひぬかん)…火の神とは、家の守り神のことで、正殿2階の「おせんみこちゃ(注8)」に祀られている。
(注4)首里森御嶽(すいむいうたき)…首里森(すいむい)とは首里城の別称で、御嶽(うたき)とは沖縄の聖地または拝所のこと。国王が場外の寺社に出かけるときに この御嶽で祈りをささげ、神女たちが多くの儀礼を行った。
(注5) 京の内(きょうのうち)…京の内とは霊力のある聖域という意味があり、現在は首里森御獄などとともに、琉球王国の最高神女である聞得大君(注9)が神に祈った拝所がある。 神聖なエリアである。
(注6) 三平等(みふぃら)の大あむしら…首里地域を三つに区分した行政区域の総称で、大あむしらは、それぞれを所管した上級神女のこと。首里大あむしられ、真壁大あむしられ、儀保大あむしられをいう。
(注7)親方(うぇーかた)…琉球王国の称号の一つ。王族の下に位置し、琉球の士族が賜ることのできる高級官僚の称号で国政の要職についた。大相撲の親方という意味ではない。
(注8)おせんみこちゃ…首里城の正殿の2階、階段を上がったところにある部屋で、首里城内の火の神信仰の中枢である。国王は女官とともに毎朝、東方に向かって祈りをささげた。今でも常にお香が焚かれている。指揮者の直井大輔氏によれば、このお香は「無量寿」という銘柄であるとブログに書いておられる。無量寿は125g詰め13,500円で売られていた。
(注9)聞得大君(きこえおおきみ)…国を霊的に守るために神女の頂点に位する女性のこと。



《主催者の方々にひとこと》
もうすぐ神女たちが首里森御嶽の前で「おたかべ」を唱えるため、下之御庭に入場してくるというとき、スタッフと書かれた上着を着た数人の男性が、紅白のロープを持って規制線を張り始めた。そのため、ずい分、前から下之御庭のすぐ前にいた人は、規制線の外に移動させられた。しかし、そのときには、張られた規制線に沿って人垣ができていて、移動させられた人は、人の輪の後方か隅の方しか行くところがなかった。

私は、あらかじめ 首里森御嶽の儀式を真横から見るため、30分も前に来て神女の巡幸の動線を見越して、また、写真が逆光にならないポジションを確保していたため、このページの写真を撮ることができたが、急に規制線を張られて写真の撮れない位置に移動させられた人がスタッフともめていた。この客は、言葉を聞いている限り、本土から来た方だろう。

客「分かっているのだから、もっと前から規制線を張れないのか」
スタッフ「この時間しか規制できない。協力をお願いしている」
客「この場所では写真も撮れない。どうして、もっと早く知らせてくないのか?」
スタッフ「毎年やっているが、この時間に規制している」
客「初めてきた者には分からない。こんなやり方はおかしい」
スタッフ「文句がおありなら、事務所に投書するなり、電話するなりしてください」(「ご意見があるなら…」ではない。一応、「お」をつけているので尊敬語のように聞こえるが、「文句があるなら」と言っているのと同じ。これでは喧嘩を売っているのと同じである)

また、私のすぐ隣りにいた人は「ここは車椅子の席になります」と言われて移動させられたが、もう写真の撮れる位置に戻ることは困難だった。私もこんなやり方はおかしいと思った。以前、琉球王朝祭りのとき、私の前にいた中国から来た三人の女性は、行列の写真を撮ろうと道路にはみ出た途端、黄色の制服を着た大柄なスタッフに立ちはだかれ、後ろ向きに倒れるところを私が後ろから支えたことがあった。スタッフの服を着ている方は、強圧的ではなく、もう少し、遠来の客を大事にしていただけないだろうか。それが、観光立県沖縄を支えているのだから。

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背景の「読谷山花織」は、「ゆたんざはなうぃ」または、「よみたんざんはなおり」と読みます。琉球王朝のための御用布として織られていました。絶滅寸前だったものを、昭和39年に読谷村で「幻の花織」として復活しました。