4月3日はシーサーの日


屋根上のシーサー

竹富島にある屋根シーサー この迫力で新型コロナウィルスを撃退してほしい

壺屋のシーサー ダブルシーサー
那覇市壺屋にある「うふシーサー」高さ3.62mは沖縄最大級 一対の屋根シーサーは希少価値アリ
愉快なシーサー お土産シーサー
こんな楽しいシーサーもある お土産シーサー


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《追記》本日、4月3日は、シーサーの日である。一対の片方は大きく口を開いている。これは、福を招き入れるという意味があり、もう片方は口を閉じている。これは、悪いものを寄せ付けないという意味があるそうだ。シーサーそのものは、魔除けの意味があり、沖縄では魔物(マジムン)を撃退するため、屋根や門柱の上に置かれる。シーサーには、猛威を振るっている新型コロナウィルスを是非やっつけてほしいものである。CBCテレビ(中部日本放送)の特別解説委員・北辻利寿さんは、論説コラム「東西南北論説風」のなかで、屋根の上のシーサーに思わず「頑張れ!」と声をかけたという。その気持ちよくわかる。
(追記終わり)



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4月3日は、語呂合わせで「シーサー」の日だという。新聞を見ても、上の写真の巨大シーサーの汚れ落としや壺屋の陶工がシーサー造りの実演を行った以外には、特に大きなイベントが行われたわけではないが、沖縄の街を歩けば、どこに行っても「シーサー」にお目にかかる。

「シーサー」は古代オリエントに起源を持つといわれ、獅子(ライオン)が原型とされている。紀元前6000年頃、エジプトやインドでは強さの象徴としてライオンの石像が創られていたそうだ。それがシルクロードを経て、13〜15世紀頃に中国から沖縄へ伝わったといわれている。当時、アジアにライオンはいなかった。そこで人々は噂に聞くその姿を想像しながらライオン像を創っていき、長い時の流れとともに姿・形を変え、現在の「シーサー」となったというわけだ。

当初は、城門・寺社・王陵・集落の入り口などに置かれていた。19世紀末、民家にも赤瓦の使用が許されると、屋根に獅子を据えて魔除けとする風習が一般に広まっていった。屋根シーサーには、焼物製と漆喰(注1)製があり、漆喰シーサーの方は、屋根職人が瓦を葺き、余った瓦や漆喰で「除災招福」を願って「おまけ」として造ったことに始まる。つまり、屋根シーサーは瓦葺き職人の家主に対するお礼だった。

「本土」にもシーサーと良く似た獅子がいる。 狛犬(注2)である。狛犬は朝鮮半島から、伝わったそうだが、ルーツはやはり古代オリエントだといわれている。

「シーサー」の由来で有名な話のひとつに、沖縄本島南部、東風平町(こちんだちょう−現在の八重瀬町)、富盛(ともり)の「シーサー」の話がある。

それによると、富盛集落では、たびたび起こる火事に悩まされていた。そこで、久米村の識者「蔡応瑞(注3)」の風水によって石造りのシーサーを造り、火難の元凶である八重瀬岳に向け安置したところ、火難から逃れることが出来たという。

それ以来、シーサーは魔除けとしての力を持つことが他の集落にも伝わり、さらに島々へと広まっていったそうだ。浦添市のシーサー山には、現在でも火除けの獅子屋が残っている。昔は浦添市だけで18のヒーゲーシ(火事が起こらないための魔除けの獅子)があったそうだ。石獅子としては沖縄最古で最大の富盛(ともり)の「シーサー」については、⇒ コチラから

HP「八重山物語」、HP「奥原ギャラリー」、HP「Okinawa Clip」、うらおそい散策マップなどを参考にして作成。写真も一部、奥原ギャラリーさんよりお借りした。(注)はWikipediaより。

(注1)漆喰(しっくい)…沖縄の屋根瓦の接着に用いられる。藁と生石灰を混合したものに水を加え、さらにそれを擂り潰し熟成させる。
(注2)狛犬(こまいぬ)…獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物。神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う。飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになった。
(注3)蔡応瑞(さいおうずい)…1651〜1707。詩作にすぐれ、唐に渡り、福建で風水を学んだ。

◎このサイトの「シーサー」関連は、「着せ替えシーサー」⇒ コチラから

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