ご当地マンホールの発祥は那覇市


那覇市マンホール


《追記:首里城マンホールデザインコンテスト》
沖縄県では、下水道の日に合わせ2020年9月「首里城マンホールデザインコンテスト」の募集を行い、県内外から集まった126作品のなかから、このほど最優秀作品が選ばれた。その作品が上の写真である。守礼門と、そして在りし日の姿を蘇らせたような正殿きらびやかな首里城が紅型のスタイルでカラフルに描かれており、これから順次、那覇市のマンホールとして更新されるが、2021年4月15日現在、那覇市のパレットくもじ前で見ることができる(追記おわり)。



那覇市マンホール  

「ご当地マンホール」と言うのは、「デザインマンホール」ともいわれ、日本全国各地にあり、各地域独特のデザイン模様のマンホールの蓋のことである。

日本下水道協会によると、デザインマンホールが全国に広まったのは1980年代なのだが、那覇市では1977年(昭和52年)に、全国初のデザインマンホールがお目見えした。デザインマンホールの発祥は、なんと沖縄県那覇市だったのだ。

「おもろまち」にある那覇市の上下水道局に行くと、「全国で最初のデザインマンホールふた」と書かれた額が飾られている。市章の周りを小さな魚が三重に囲む、シンプルでかわいらしいデザインだ(一番上の写真)。デザインしたのは当時の市職員で、「居酒屋でガーラ(アジの一種)を食べていた時にひらめいた」というアイデアが採用された。「下水道できれいになった水の中で、魚たちが喜び群れ遊ぶ様」をイメージしたという。その後、デザインマンホールは那覇市から県内各地へ、そして全国へと広がった。

那覇市では2013年(平成25年)にも5種類の新デザインを導入した(2番目から下の写真)。描いたのは、これも市職員で、南国の沖縄らしい鮮やかさと独自の文化を採り入れようと、シーサーや首里織などをモチーフに原色を配した。今では首里城近くなど那覇市内の歴史的な地域で存在感を発揮している(RBCテレビニュースを聞いて作成)。

市の職員に聞いたら、「発祥は那覇市だと聞いているが、確証できる資料がないらしい。多分、那覇市だろう…と思う」と言っていた。

なお、「日本マンホール蓋学会」という面白いサイトがある。個人のサイトだが、「日本マンホール蓋学会」で検索するとヒットする。興味のある方はどうぞ。

那覇市マンホール  
那覇市マンホール  

《写真説明》上:昭和52年に全国に先駆けてお目見えしたデザインマンホール。魚は全部で69匹いる。中央のマークは那覇市の市章で、大正10年に制定された。
中:うふシーサーとブーゲンビリア。「うふ」は大きいという意味。高さ3.6メートル、重さ3トンの「壺屋シーサー」が、焼物(やちむん)の町で知られる那覇市壺屋にある。
下:首里織をデザインしたもの。これは絣(かすり)織。写真は、すべて那覇市のHPより。

◎マンホールカードについて
ところで「マンホールカード」というものがあることをご存じだろうか?。平成28年から地域のPRとマンホールのアピールを目的に配布されている「ご当地マンホールカード」である。カードは名刺サイズで全国統一。表にはマンホールの写真と撮影場所の緯度、経度。裏にはデザインの由来などが印刷されている。

カードはすべて無料で配布されているが、現地の役所などの配布場所を直接訪れた人だけに一人1枚もらえる。第1弾として同年4月、全国の28の市や町など30種が選ばれ、同8月には第2弾として40自治体の44種が配布された。沖縄県では那覇市の上の写真の一番上のマンホールのカードが発行された。インターネットのオークションでは高値で取引されているとか。こっそりお教えすると那覇市のカードの最高落札価格は3,500円だった(平成29年1月現在)。テレホンカードのようなブームが来るかなぁ。なお、残念ながら私は持っていないので、写真は、沖縄県のHPよりお借りした。

マンホールカード マンホールカード

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