何故、沖縄でローマ帝国のコインが発見されたのか?



勝連城



平成27年の「行ってみたい日本の城」ランキングで12位に入ったのが勝連城である。1位は熊本城だったが、沖縄県のトップは座喜味城の11位だった。 私は、勝連城には、今までに3回行った。石積みの城壁しか残っていないが、優美な曲線は他の城にはない特徴であり、郭が階段状に積み上がり、一番上の郭は、標高100メートルもある。

その勝連城跡から古代ローマ帝国のコインが発見されたと、うるま市教育委員会が発表した。出土したコインは計10点で、すべて鍛造(たんぞう)(金属をたたいて成形する方法)製の銅貨だった。沖縄では新聞の1面のトップ記事として大きく報道されたが、本土では、それほど大きくは扱われなかったようなので、詳しくご紹介する。

専門家が調査したところ、10点中4点はローマ帝国、1点はオスマン帝国の貨幣であることが判明した。そのうち、2点のローマ帝国のコインは推定3~4世紀の通貨で、エックス線検査の結果、表面にはローマ文字やアラビア文字、コンスタンティヌス1世の肖像などがあしらわれていることが分かった。1点のオスマン帝国コインは推定17世紀と思われるそうだが、勝連城は17世紀には廃城になっており、どういう人が、どうして持ち込んだのか、謎に包まれている。残り5点は時代や国が不明なので調査中とのこと。大きさは直径1.6~2センチ、厚さ0.1~0.17センチ、重さ1.5~3.6グラム。

以下は、何故、勝連城に古代ローマ帝国のコインが持ち込まれたのか、専門家の意見をご紹介する。
勝連城が機能を失った後に人々が城内にある御嶽や井戸に供えた可能性もある(琉球大学・池田榮史教授)。沖縄の城では地鎮などの目的で、よろいの部品や刀の装具をまくという祭祀(さいし)があったようで、見つかったコインも同じ用途だった可能性が考えられる(元興寺文化財研究所・塚本敏夫埋蔵文化財保存研究グループリーダー)。商人など勝連城に関わる人、例えば南アジア島しょ地域や、中国の西の商人が活動した泉州など、西洋世界との接点を持つ人が持ち込んだのだろう。(沖国大、宮城弘樹講師)。中国では隋や唐の時代の墓から、アクセサリーに加工された古代ローマの金貨などが見つかっている。今回は銅貨なので、貴重品というよりも素材としてまとめて持ち込まれた可能性がある(古代オリエント博物館・津村真輝子研究部長) 。

市教委は、国内の遺跡からローマ・オスマン帝国の貨幣が確認されるのは初のケースだろうと説明。勝連城跡に関わる何らかの人物が、交易や交流などにより東アジア世界を経由して入手した可能性があるとして、今後経路の検討作業を進める予定だとか(琉球新報、沖縄タイムス、毎日Webから、コインの写真は産経フォトからお借りした)。




コイン   コイン


《ご参考》勝連城…15世紀、海外貿易により勝連に繁栄をもたらした有力按司(あじ=首長)阿麻和利(あまわり)が居城したとされる。自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われ、その城壁は優雅な曲線を描き、頂上に登ると東に輝く青い海が一望できる沖縄有数の景勝地でもある。現存する沖縄の城の中では最も古く、築城は12世紀とも13世紀ともいわれている。平成12年、首里城跡などとともに、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

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