沖 縄 移 住 生 活 始 め ま し た
観光で沖縄に来ていた頃、バスガイドさんから聞いた話である。琉球新報の「うちな〜ショートショート」を読んでいて、この話を思い出した。
「糸満市」の名前の由来には、こんな昔話がある。
昔々、イギリスの船が沖縄の南の海で遭難したのじゃよ。
乗組員のうち、8人が海岸に流れ着いたそうじゃ。
浜に上がった彼らは洞窟を見つけ、そこに潜んで しばらく様子を見ることにしたそうな。
すると、そこにやってきた村人たちは、彼らと仲良くなり、
乗組員たちは、イギリスに帰ることなく住み着いたんじゃと。
イギリス人は8人(エイトメン)だったので、
それから彼らが住み着いた地区のことを「エイトメン」と呼ぶようになり、
それが「エイトメン」→「エイトマン」→「イトマン」になったそうな。
ウソかホントか分からないが、糸満市真栄里(まえさと)には イギリス人たちが住んでいたという「ドンドンガマ」と呼ばれる洞窟があり、それは「ロンドン」がなまったといわれている。その近くにある公園には、ロンドン杜(もり)公園という名がついている。
Webで調べたら、もうひとつ説があった。糸満の漁師達は小さなサバニ(琉球の漁師に古くから使われていた漁船の名称)で、遥かインド洋まで行ったともいわれ、 また、エジプトへ遠征中のナポレオンが、地中海でサバニに乗って漁をしている者を発見した。聞くと東洋人だと分かった。それも琉球王国の漁師で、ナポレオン一行が、東洋から来たのでイーストマンと呼んだところ、それがなまって、イーストマン ⇒ イトマンになったそうだ(HP「沖縄の民話」より) 。
沖縄の小さな漁船が地中海まで漁に行ったなんて、そんなことは ありえないとは思うが、実にスケールの大きな話だねぇ。
ところでエイトマンとは関係ない話だが、糸満市では、正月は今でも旧暦で祝う家が多いそうだ。旧正月には、各家庭ではご馳走が並び、漁船は大漁旗で飾るとか。旧正月と新正月の両方を祝う家庭もあるそうだが、そうすると子供たちは2回お年玉がもらえる?。そんなことは、あるはずないか。(^-^)
下の写真(右)は、ロンドン杜(もり)公園。入口には図書館があり、とても広い公園だった。
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