「おもろまち」というところ


「国際通り」が戦後の焼け野原から目覚しい発展を遂げた街なら、「おもろまち」は、平成になってから発展した新しい賑わいの街である。別名、「那覇新都心(注1)」ともいわれている。

戦後、アメリカ軍は この地区を強制収用したが、本土復帰以降、徐々に返還され、昭和62年に全面返還された。その後、新しい街が造られた。NET情報に寄れば、平成10年、那覇市はこの地区の町名を一般募集した。県内外から1,781点の応募があり、「おもろまち」に決定した。「おもろ」とは、「おもしろい」という意味ではなく、琉球の古い歌謡のことであり、沖縄方言の「思い」から来た言葉だそうだ。

街を構成しているのは、高層マンションなどの居住施設。大型ショッピングセンターの那覇メインプレイス、DFSギャラリーなどの商業施設。美術館、博物館の文化施設。学校、公園、駅などの公共施設。日銀、ハローワーク、合同庁舎などの官公庁はじめリブレガーデンホテル、ダイワロイネットホテル、ナハテラスなどの大型ホテルも何軒か建っている。



おもろまち駅とバス停 ビル群
ゆいレール「おもろまち駅」とバス停 発展目覚しい新都心地区

こんな便利ところなのに、沖縄県人は、新都心には買い物には行っても絶対に住むことはないと聞いたので、真偽を確かめてみたところ、今年77歳になられる方が、次のように教えてくれた。
「若い人は知らないが、我々の世代は絶対に住まない。子や孫が住むと言ったら止めさせる。何故なら、ここは沖縄戦の激戦地で、別名 "地獄の丘" といわれ、1週間で5,000人の人が亡くなった場所なのだ。戦後、進駐軍は この地を接収し、亡くなった兵士や住民たちを供養することもせず、遺骨を収集することなくブルドーザーで造成して米軍兵の住宅街にした。だから、土地が浄化されていないので、成仏していない戦死者の霊が、今だにさ迷っている。そんな場所だから、沖縄の霊能者やシジダカサン(注2)は、ここには絶対に近づかない」のだと。これをウチナーンチュの方々は「土地が悪い」と表現しておられる。

現在、ここに住んでいる方には申し訳ないので、こんなことを書いていいのか迷ったが、話を聞くまで知らなかった。私もおもろまち、真嘉比、銘苅で家を探していたことがあったが、不動産屋は、教えてくれなかったので、家を探しておられる方の参考までに知っていただければと思う。お伺いした77歳の方、曰く、「おもろまちに住むのは、何も知らない本土から来た人ばかりだよ」。

(注1)新都心…おもろまちをはじめ、天久、銘苅、上之屋、真嘉比、安謝あたりを指す。
(注2)シジダカサン…霊能力の高い人のことをいう。沖縄にはこういう人のことをサーダカ、サーダカンマリ、セジが高い人など、いろいろな呼び方をする。つまり、"人の見えないものが 見える人" のことをいう。

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