深イイ話「三度も売られた男」


『球陽』 巻4本文1118に出てくるお話。
『球陽』とは、18世紀中頃の琉球王国の歴史書。書名の『球陽』とは琉球の美名。本土でも岐阜を「岐陽」とか「華陽」と称したのと同じと考えられる。 そのなかに、こんな話がある。

【西原間切棚原村の城間、三次父に売られ、三次自ら贖ひて親を養ふ】棚原村に城間掟親雲上なる者有り。年十三の時、父之れを売りて債を償ふ。成人するに及び、主人其の力を竭すを見て、米二俵を賞す。則ち以て運営す。年十八に至り身を贖ふ。父又売りて以て債を償ふ。後主も亦其の力耕を奨して銭百貫文を賜ふ。則ち之れを営みて利を生じ、夜は私田を耕し、二十三歳に至り身を贖ふ。其の債尚未だ清楚せず。因りて又売らる。昼は則ち主田を耕し、夜は則ち私農を治め、年二十七に至り贖ひ回る。此れより千営万運、乃ち富を致し以て親を養ふ。又妹四人有り。倶に父に売られ、落ちて人下に在り。皆之れを贖ひて以て親の悦を致す。年三十九に至り、聞得大君御殿に供役し、黄冠の位を拝す(HP「球陽巻14」より)。

西原町間切棚原村の城間(ぐすくま)は、13歳のとき、父親の借金の "かた" に売られたが、真面目に働いたので主人から米2俵のご褒美をいただいたので、これを元にして稼いだ。そして18歳のとき借金を返すことができたが、再び父親の借金のため別の家に売られた。そこでも農作業に力を惜しまず働いたので、主人から認められ銭100貫文を賜った。それを元手に自分の田畑を入手して稼ぎ、23歳で借金を返済した。しかし、親は再び借金をかさねたため、またしても身売りされ、昼は主人の田畑を耕し、夜は自分の田畑を耕して27歳で借金を完済した。その後は商売で富を得て親を養うようになり、同じように父に身売りされていた4人の妹の借金までも返済して親を悦ばせた。そして、39歳のとき、聞得大君御殿(きこえおおぎみうどぅん=琉球王国時代の最高女神官の館)に仕え、黄冠(親雲上=ペークーミー、士族の称号)の地位を得ることが出来た。私が訳したので、間違っていたらお許しを。

3度も身売りされても一所懸命に働き、主人から報償をもらって自分の田畑を手に入れて借金を返済し、就職もして地位も手に入れた。真面目に働けば、きっといいことがあるなんてことは、為政者には実に都合のいいお話である。『球陽』には、この話の前にも養母に何度も身を売られ、貧困な生活を送ったが、やがては昼間は田畑を耕し、夜は籠を作って家計を豊かにし、養母を養った。そして六男三女に恵まれ、幸せに暮らしたという話もある。この歴史書が書かれた時代背景を考えると、少しばかりウソ臭いところもある。だが、それには目をつむり、史実だったとして読めば、実に ”深イイ話” ではありませんか!。ひとこと付け加えるなら、それにしても、とんでもない親だネェ。

  ナビゲーションはトップページにあります。

   TOPページへ