不発弾が年間650発


国際通りで不発弾

国際通りが不発弾処理のため立入禁止となった(写真は毎日新聞Webより)


新聞を見ていると、どこそこで不発弾の処理をするので、〇日の△時から☆時まで、一時避難をするようにという記事をよく目にする。今までは、場所を確認して自分の住んでいるところから離れていれば、「ふ〜ん、またか」程度に思っていたが、ついに自分の住んでいるアパートから7〜80メートル離れた造成中のところで異常事態?が発生した。

パトカーではない、消防車でもない聞きなれないサイレンの音が聞こえてきて、すぐ近くで止まった。見ると迷彩色に塗られた自衛隊車だった。造成地の周りには工事関係者が集まっており、自衛隊員がスコップで地面を掘りはじめた。ところが30分もしないうちに引き上げてしまった。聞いたら爆発の心配がないので持ち帰ったのだそうだ。そんなこともあるんだねぇ。

ところで、県内の不発弾は、終戦時に約1万トンと推定され、現在までに約8千トンが処理され、残り2千トンが未だ土中に眠ると推定されているが、1年間でどのくらいの不発弾が発見されているかご存じだろうか?。

実は、年平均650件というから驚いた。1ヵ月で54件も発生しているのだ。ということは、1日、1件以上は県内のどこかで不発弾が発見されているということになる。そんなに多いとは知らなかった。県の防災管理課によると、最近5年間では

2013年   754件
2014    632
2015    597
2016    629
2017    639

この1〜2年で記憶にあるのは、国際通りのホテル建設用地で50キロ爆弾が発見され、半径166メートルの住人2500人とホテル、商店など350事業所が一時避難するという大騒動だった。国際通りでは、去年も今年も不発弾が発見された。琉球新報によれば、つい先日も那覇市の中心地にある天妃小学校のグラウンドで不発弾の処理が行われ、現場から半径88メートル(5インチ艦砲弾の場合は88メートルと決まっている)が立入禁止となり、学校周辺の120世帯450人と60事業所が一時避難し、周辺道路が一時間ほど閉鎖された。

沖縄タイムスによれば、米軍占領下の昭和21〜46年には、計 704人が不発弾の爆発で亡くなった。本土復帰後も昭和49年3月に那覇市の幼稚園近くの下水道工事現場で旧日本軍の機雷が爆発し、3歳の女児を含む4人が死亡。平成21年1月には糸満市の水道管工事現場で米軍の不発弾が爆発し、2人が重軽傷を負った。70年も前に終わったはずの戦争を、未だに引きずらなけばならないのが沖縄の現状なのだ。



国際通りで不発弾 不発弾処理?
国際通りで不発弾処理(那覇市ご提供) 私の家の近くで不発弾? ベランダから撮影

《追記》住宅密集地で不発弾を爆破処理
琉球新報Web newsによると、那覇空港から2キロほど離れた那覇市宇栄原3丁目の住宅密集地で発見された不発弾の安全化処理作業が12月9日行われた。通常は起爆装置の信管を取り除く処理が施されるが、今回は装置が特殊な構造で、作業の途中に爆発する恐れがあったため、近くに掘った5メートルほどの穴の中で異例の住宅地での爆破処理が行われた。半径300メートル以内は一般の立ち入りが禁止され、住民などおよそ2,500人に避難を呼び掛けた。不発弾が入れられた穴は土のうでふさがれ、処理開始から7時間かけて午後3時すぎに爆破されると、辺りには大きな爆発音が響いた。
来週も同地区で2発の処理が行われ、空港と首里城を結ぶモノレールが、作業の間、運行を停止するという。写真はOkinawa web newsの映像をcopy。追記終わり



不発弾処理


《ご参考》
不発弾が見つかって現地で安全化処理をすることになると、地元市町村、自衛隊、警察、消防、沖縄県、自治会等が集まり、「不発弾処理対策協議会」を開く。そこで各機関の役割や日程等を決定する。そして、万が一に備え、強固な防護壁を構築し、その中で不発弾を処理をする。防護壁の大きさは、直径2〜3メートル、高さ6メートルの鉄製のライナープレート(円柱状)の周りを土や土のうで固める。空洞の山というイメージ。
その後、周辺住民の方に避難してもらうために案内チラシを配布したり広報車のアナウンスをし、市のHPにもアップする。当日は、交通規制が完了し、対象エリアに人がいないことが確認されると自衛隊(第15旅団第101不発弾処理隊)による不発弾処理が始まる。処理壕構築費用や当日の人件費(市職員)等の必要経費の費用負担は、国が90%、県と市町村が各5%だそうだ。

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背景の「首里織」は、首里王府の城下町として栄えた首里において王府の貴族、士族用に作られていたもので、悠々として麗美な織物が織り継がれ、現在に至っています。この作品は、米須幸代さんの「グーシー花織」です。