2023年の那覇大綱挽は10/8に実施へ


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《追記》2023年の大綱挽は、10月8日(日)に実施と決定 (琉球新報より)。時間は16時ころから



那覇の大綱挽

那覇の大綱挽配置図


2017那覇大綱挽 大綱の常設展示
久茂地交差点を埋め尽くした観衆と引き手 大綱は「テンブス那覇」の南で常設展示している

沖縄は綱ひきが盛んである。綱ひきと言っても、小学校の運動会の競技ではない。市町村の公式行事の綱ひきである。今年(2023:令和5年)の那覇大綱挽が10月8日に那覇市の国道58号線・久茂地交差点で大観衆と引き手を集めて盛大に行われる。

2022年に3年ぶりに行われた大綱挽は、開始から5分で西軍の綱が切れるという前代未聞のハプニングがあった。関係者によると、大綱が切れるのは長い歴史の中でも初めてのことで、新型コロナ対策で引き手を少なくしたことで綱は従来より短く、細く作られたことによるらしい。それにしても、直径1メートル以上の大綱が切れるなんて、マンパワーは計り知れない。勝敗は、切れたとたん、大綱は東軍側に大きく引っ張られ、東軍が勝ったように見えたが、裁定により引き分けとなった。通算成績は東軍の16勝14敗16引き分けに(以上、追記終わり)。



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資料によれば、ほとんどが市町村、集落単位で行われ、現在、県内では100ヵ所以上で行われているという。毎年一回の割りで綱ひきを行っている所が多いが、7年または12年に一回の周期で行っている地域もある。なかには1年に2回以上という地域もある。そのくらい盛んなのだが、目的は娯楽に重きを置くことはいうまでもないが、その年を占い、邪鬼を祓う目的と雨乞いの要素も持つと考えられている。那覇市では10月だが、多くの地区では6月に行われる。

沖縄の綱ひきは、年中行事のなかでも最も集落がにぎわう一つである。それは、村や地域を二つに分けていろいろな分野で競争し合うからでもある。さて、その綱ひきだが、このページで、今まで「ひき」を ”ひらがな” にしたのには訳がある。実は、地域によって「ひき」の漢字が異なるからである。那覇の大綱ひきの「ひき」は「挽」である。与那原町、南城市、西原町幸地、同町我謝、南風原町津嘉山、同町兼城、同町喜屋武などは「曳」、糸満市、豊見城市、宜野湾市の大山、同市真志喜、金武町などは「引」の字を使う。

厳密な違いを辞書で調べてみると、「引」は、物に手をかけて近くへ寄せるなどで、綱(つな)や網(あみ)の場合は「曳」とも書く。「曳」は引くものが後ろに長く伸びるの意味を持ち、「挽」は力を振り絞ってという意味があるという。

しかし、ネットで見ると、こんな使い分けはしていないようだ。新聞社では厳密に使い分けているが、その他では、たいてい「引」となっている。市町村のなかには、本当は「曳」なのに、「引」を使っている公式サイトもあった。

余談だが、「那覇の大綱挽」の綱は、全長200メートル、太さ1.5メートル、総重量43トンで世界一のわら縄としてギネス認定されている。綱挽の時期でなくても、1年中、綱を見ることができる。上の写真:右のように、国際通りの「テンブス那覇」の南側の屋根付きドームに常設展示している。

なお、沖縄三大綱ひきは、「那覇大綱挽」「与那原大綱曳」「糸満大綱引」である。「ひき」の字が全部違う(上の写真:綱の常設展示以外は、那覇大綱挽保存会さんのHPよりお借りした)。


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背景の「読谷山花織」は、「ゆたんざはなうぃ」または、「よみたんざんはなおり」と読みます。琉球王朝のための御用布として織られていました。絶滅寸前だったものを、昭和39年に読谷村で「幻の花織」として復活しました。