沖縄県人はヒヌカンを大切にする


ヒヌカン
 

「ヒヌカン」といっても、本土の方にはなじみがないと思うので ご説明すると、沖縄では土地にも家の各所にも神が宿っているとされ、「ヒヌカン」とは、台所に祀られている「火の神」「カマド(竈)の神」のことをいう。昔は台所のカマドの後ろに3個の石が置かれていたが、今は白い陶製の香炉に変わった。私の本土の家の台所には秋葉神社の札が貼ってあった。火の神様なので、同じ役割と思ったが、沖縄では それ以上の存在で、香炉のわきに塩、コメ、酒、花ビンなどを備え、旧暦の1日、15日や年中行事には、欠かさずお詣りをする。毎日、お参りをする家もある。

「ヒヌカン」には、一家の守り神として、家族の健康、病気の快復、出産、結婚から進学、就職など家族の身近なあれこれはもちろん、その家の繁栄、繁盛まで祈願もすれば、ご報告したりする。それだけではない。「ウトゥーシドゥクル」といって、すべての神様、ご先祖様に取り次ぐという役割もしてくれる。本土でも神棚に手を合わすように、沖縄でも「ヒヌカン」に手を合わせて神様、ご先祖さまに感謝する。つまり、「ヒヌカン」は、屋敷神、フールーヌカミ(トイレの神)、床(とこ)の神などより格上で、沖縄の神様の最高位なのだそうだ。

ところが、神様のお告げを聞くことのできる沖縄の霊能者、渡久地十美子さんは近著の「祭祀のウソ・ホント」のなかで、「ヒヌカンは実際にはいません。いくら香炉を大切にしても、そこに繋がる神様はいません。ただの道具です。香炉に神さまはいません。ヒヌカンが神様の中の最高位というのは、まったくのデタラメです。実際にいる神は太陽神、竜宮神、山神、水神だけです。それ以外に神はいません」と言う。渡久地さんは、ヒヌカンではなく、家の中に神様を祀る場所(神棚)を作りなさいと言う。「祭祀のウソ・ホント」は ⇒ コチラから

どちらを信じていいのか、よく分からないが、太古の昔から「火」は神聖なもので、太陽とともに崇めてきた。火には、魔よけの意味もあり、家の中で火を使う台所を神聖なところとして火の神、竈の神を祀ることには、何ら問題はないと思うのだが。といっても、我が家には、「ヒヌカン」も「神棚」もないので、エラそうなことは言えないが…。

上の写真は、基本的なヒヌカンの神具。ヒヌカンは、その家の神様なので、知り合いだからといって写真を撮らしてほしいとは言いづらいので、HP「沖縄お悔み情報局」さんの画像をお借りし管理人が説明を加筆した。

《追記》火の神のタブー…火の神のタブーのなかには、「火の神を門と向かい合わせにしてはいけない」は、門から侵入した悪霊が祖先を祀った位牌に一直線に当たるので理解できるが、「火の神を午(ウマ)の方向に向けるのはいいが、申(サル)の方角はいけない」とか「火の神を頻繁に移動させてはいけない」など、意味不明のものや根拠のないものまで、さまざまなものがあるとか。
一般的には、火の神の前で不平や不満、小言や悪口、陰口などの言動はじめ、火の神の前で子どもを叱ったり、夫婦喧嘩をしたり、ウソをつくことはタブーとされ、汚い言葉を使うことも慎むねばならない。このほか、火の神はウコール(香炉)の灰に宿るとされ、「むやみに灰の掃除をしてはならない」との習わしもある。そのため、火の神の灰を整えるときには、事前に理由を伝えてから始めなければならといわれている。

《追記》 火の神の拝み方…正月や十六日祭(ジュールクニチー:グソーの正月)のほか、毎月1日と15日には必ず拝む。拝み方は「今日は1日(ティタチ:15日のときはジュウグニチ、正月のときはソーグヮッチ)でございます。日ごろから家族をお守りくださりありがとうございます。ウティン・ジーチ・リュウグ(天の神・地の神・海の神=竜宮)の神々の恵みで家族一同が健康で家庭円満に暮らしております。感謝申し上げます」と唱える。

また、年末には、ウサギムン(供物:例−酒・花米・ウチャク三飾りなど)を供え、火の神の上天の拝みをして一年間の家族への守護に対する感謝の祈りと天へ戻って天の神に良い報告をしていただくようお願いする。(追記は「絵で見る御願」:むぎ社編などより)。

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